徳島県祖谷に伝わる平家伝説とは

徳島県三好市の祖谷には、幼い安徳天皇と平教経(たいらののりつね)(国盛・くにもり)一行がこの地に逃れ
平家再興の望みをつないだという『もうひとつの平家物語』が語り伝えられています。
1184年の壇ノ浦の戦いに敗れ、平氏一門の武将たちは覚悟を決め、海に入水し、
幼い安徳天皇も祖母である二位尼に抱かれて、西の海に身を投げたといいます。
また、祖谷平家伝説の主人公の一人、平教経(以下、平国盛)も源氏の武者二人を道連れに海に沈んだといわれています。
しかし、壇ノ浦で亡くなったといわれる安徳天皇も平国盛も、実は影武者だった・・・。
屋島の戦いで敗れた後、平国盛(教経)の一行は、ひそかに幼い安徳天皇をお守りしながら、
この祖谷の地にやって来ました。そして、山深い祖谷の地で、平氏再興の望みをつないでいたといわれています。
  1. 【一】屋島から、大晦日の夜、祖谷の大枝へ。洞窟で野宿をして迎えたお正月。
    1185年、屋島の戦いで敗れた平国盛(国盛さん)と幼い安徳天皇は
    平家の一行と共に陸路を東へと進み、阿讃山脈を越え、山奥、祖谷の地を目指しました。
    大晦日の夜、この祖谷の地(大枝名※おおえだみょう=大枝集落)に入り、
    「平家の岩屋(平家の窟」)という洞窟で、一晩野宿をすることになりました。
    翌日のお正月のため、国盛さんは家来に命じて、
    新年を迎えるために門松の松を探させました。
    でも、辺りは真っ暗。松の木は見つからず、ヒノキを松の代わりにして新年を迎えました。
  2. 【二】京上の御所で始まった山深い祖谷の暮らし。源氏の討手を防ぐために造られた「かずら橋」。
    こんもりした森がある所に、国盛さんは、安徳天皇のために御所を造り、
    山深い祖谷の暮らしが始まりました。
    しかし、秋の台風の地滑りによって御所は流されてしまい、そこも安住の地とはなりませんでした。
    以来、御所があった場所の大岩を天皇森と呼ぶようになりました。
    源氏の討手が祖谷の地に迫ってきたとき、敵の侵入を防ぐために、
    いつでも切り落とせるように蔓を束ねて橋を造ったのが「かずら橋」といわれています。
  3. 【三】平家再興の願いをかけて植えた杉の木(鉾杉)
    いつの日か平氏再興のために京に攻め上がること。それが国盛さんの願いでした。
    平家再興を願って、安徳天皇が所持していた鉾を納め、その鉾を守るために、国盛さんは杉の木を植えました。 
    自分はいつか、都へ攻め上がる。
    祖谷の地を去った後にここの人たちが自分のことを思い出してくれるように、
    自分たちが祖谷で暮らしたことを残しておこう
    と、「国盛杉(鉾杉)」を植えたといわれています。
  4. 【四】剣山への宝剣奉納
    祖谷に落ち着いた国盛さんと安徳天皇は、平氏の再興を願って三種の神器のひとつである
    宝剣(天叢雲剣※あめのむらくものつるぎ)を剣山に納めに行きました。
    剣山山頂近くの 「平家の馬場」と呼ばれる草原では、
    平氏の武者たちが源氏との戦いに備えて、馬乗りや、武術の稽古をしたといわれています。
  5. 【五】栃の実のおもちゃで遊ぶ安徳天皇
    華やかな都の暮らしとうって変わって、安徳天皇の暮らしは質素なものでした。
    剣山からの帰り道の坂で、おもちゃの代わりに持っていた「栃の実」を落としてしまいました。
    コロコロと転がる栃の実。家来たちが拾い集めてくれましたが、
    どうしても一個だけ見つかりませんでした。
    けれども、安徳天皇は、家来たちに丁寧にお礼を言ったそうです。
  6. 【六】栗枝渡に新しい御所を造営
    京上の御所が流されたので、国盛さんは安徳天皇のために別の場所に御所を造ることに決めました。
     蛙の声が聞こえるところで暮らしたい
    と望まれた安徳天皇のため、以前、安徳天皇が蛙の声を聞いたという
    栗枝渡(くりしど)の対岸に御所を造ることになりました。
    この地は、秋になっても蛙が鳴いていたり、南向きでとても暖かく、
    花がたくさん咲いていることから、お花敷と呼ばれました。
    安徳天皇は、新しい御所で幸せに日々を過ごしていました。
  7. 【七】安徳天皇の崩御(栗枝渡八幡神社と安徳天皇のご火葬場跡
    お別れは突然にやってきました。
    国盛さんの平氏再興の願い虚しく、安徳天皇は高熱が原因で、僅か八歳(九歳)で亡くなられてしまいました。
    国盛さんをはじめ、平家の人たちは悲しみました。
    中でも、国盛さんの悲しみは深いものでした。
    平氏再興の願いを叶える夢破れた国盛さんは、自暴自棄となり、酒浸りに。
  8. 【八】国盛杉(鉾杉)に抱かれている国盛さんの思い
    国盛さんの悲しみは深いものでした。でも、しばらくして、
    このまま悲しんでいるだけでは何も変わらない。
    国盛さんは、亡くなられた安徳天皇や、西海に沈んでいった平家一門のこと、
    都のことに思いをはせながらも、鉾神社の傍に植えた杉が成長していくように、
    祖谷の地で根を張りながら生きていこうと決心されたのでしょう。
    国盛さんの安徳天皇を擁して再び京に上がるという夢は叶いませんでしたが、
    今も「国盛杉(鉾杉)」は、八百年の時間を超えて、静かに国盛さんの思いを包み込むように、
    祖谷の地に根を張り続けています。

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